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史跡 難波宮跡をたずねて 2~難波長柄豊碕宮~八角殿と回廊跡 [大阪市中央区]

中大兄皇子(後の天智天皇)が中臣鎌足と共に 政敵 蘇我蝦夷、入鹿親子を打倒し 叔父の軽王子を即位させ孝徳天皇を誕生させた「大化の改新」により実権を握りました。

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この時期に前期難波宮、難波長柄豊碕宮に遷都された後、白雉元年(650)から造営が始められ、3年に完成しました。

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中大兄皇子は653年、飛鳥に移り、孝徳天皇が残りましたが686年消失してしまいました。

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[バッド(下向き矢印)]


大極殿は古代の朝廷の正殿であり即位の大礼など 重要儀式での天皇の御座のあった所です。

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大極殿の上から大阪城方面を眺めてみます。阪神高速をこえて内裏があったとされています。

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大極殿の近くには 八角殿の跡があります。


聖武天皇の天平年間は疫病や政変が多く、これらの災いを絶とうとして 744年、この地に造営したのが「後期難波宮」です。しかし1年のみで平城宮に遷都し、難波宮は副都として栄えました。

784年 桓武天皇の長岡京遷都により 建物は解体され 大極殿も 移築されたそうです。

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今は 昼間は大阪市民の憩いの公園となっており 犬を散歩させたり くつろいだりしている人たちを多く見かけます。

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昭和36年に「大極殿」 47年に「八角殿と回廊」、平成4年には「朱雀門」などが発見され、現在まで宮殿中心部の約9万平方メートルが 国の史跡に指定されています。

難波宮跡公園を あとにして次の場所に歩き始めましょう。途中、法円坂を歩きますと建設中の住宅地が見えてきます。

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手前には 大きな煙突が見えますね。銭湯でしょう。今でも営業しているのでしょうか・・・

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公園の東地区にある住宅建設用地でも 遺構が見つかっており、史跡表示があります。

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後期難波宮の南北大溝などで芝の植え込みが南北に並んでいる所が遺構の位置を示しているんだそうです。

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さて、法円坂から離れて 次に 戦国時代に 悲運のキリシタン大名とその夫人を祀ってある教会などを訪ねてみます。

では また お会いしましょう。。¥^^



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