星田寺~不動明王が勇ましい~交野市星田 [大阪府交野市]
星田神社の同じ敷地内に 星田寺があります。星田寺は星田神社に隣接し、同社の神宮寺であったので宮寺と呼ばれてます。
『日本歴史地名体系』によると、「開創年代は明らかでないが、河内長野市金剛寺蔵『金剛界大灌頂次第』奥書には「長治二年(1105年)6月6日書了 星田寺」とみえ、平安時代に存在が確認される」とあります。
入口付近には勇ましい不動明王が二体並んでおわします。
中世の寺暦は不明ですが、寺域内に室町様式の一石五輪塔を多数保管し、河内守護職畠山氏の臣で当地の豪族星田家の祖小松城主(その位置は廃小松寺の場所に在った)遠藤昌親の弟昌俊の墓塔と伝わる五輪塔が存在し、戦国時代には星田家の菩提寺であったと思われます。
中庭にはまさしく炎を拝した仏様がおります。
庭園も手入れが行き届いて大変綺麗でしたね。
堂内に安置の十一面観音立像は、旧小松寺の根本草堂の本尊であったもので、1703年(元禄16年)
小松寺が廃寺になったときに、星田神社の古宮の北に観音堂を建て、その中に祀られたが、明治初年の神仏分離の際に現在地に移されました。交野市指定文化財ということです。
これから こぐまね 星田妙見さんを目指します。
記事の更新が遅れがちなので 申し訳ありません。
次回もよろしく ご覧下さい。。¥^^
『日本歴史地名体系』によると、「開創年代は明らかでないが、河内長野市金剛寺蔵『金剛界大灌頂次第』奥書には「長治二年(1105年)6月6日書了 星田寺」とみえ、平安時代に存在が確認される」とあります。
入口付近には勇ましい不動明王が二体並んでおわします。
中世の寺暦は不明ですが、寺域内に室町様式の一石五輪塔を多数保管し、河内守護職畠山氏の臣で当地の豪族星田家の祖小松城主(その位置は廃小松寺の場所に在った)遠藤昌親の弟昌俊の墓塔と伝わる五輪塔が存在し、戦国時代には星田家の菩提寺であったと思われます。
中庭にはまさしく炎を拝した仏様がおります。
庭園も手入れが行き届いて大変綺麗でしたね。
堂内に安置の十一面観音立像は、旧小松寺の根本草堂の本尊であったもので、1703年(元禄16年)
小松寺が廃寺になったときに、星田神社の古宮の北に観音堂を建て、その中に祀られたが、明治初年の神仏分離の際に現在地に移されました。交野市指定文化財ということです。
これから こぐまね 星田妙見さんを目指します。
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真言宗のお寺さんは独特の雰囲気がありますね◎
金剛力士に「喝」を入れられている気分です(^^)
by standard55 (2011-04-24 10:18)
standard55 さん>コメントありがとうございます
金剛力士の像は本当に 勇ましく 力を入れられる気がしますね
by こぐまね (2011-04-26 23:17)