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『難波大道』地蔵尊めぐりの町歩き 後編~寺田町から美章園まで~阿倍野区 [大阪市阿倍野区]

前回は 大阪環状線 寺田町駅から 「難波大道」を訪ねて 奈良街道へと抜けて生野商店街まで行きましたが反転引き返して、源ヶ橋まで戻り、西の方角に「猫間川」跡筋を歩いてみました。

源ヶ橋の交差点から少し南に下り、道路沿いにあるのが「源ヶ橋商店会」です。

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なんともレトロな公設市場といった感じで 表看板の「源」の字の「小」の字が欠けてるところがなんとも寂しい。

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商店街ではなく、商店会というところから かつては沢山のお店が加入していたひとつの組織だったのでしょう。

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今は営業しているお店も少なくなっていますが かつては大阪中からお客さんが集まってきて賑わっていたそうです。

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今は昼間でもシャッターの下りた店が多く、商店会の奥にあるスーパーマーケットにお客さんが集中していますね。

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かつてのお店の排気管でしょうか。

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たくさん積み上げられた ドラム缶の向には 猫間川筋が続いています。この辺はすっかり住宅地となっていまして、かつて川が流れていた面影はありませんね。

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少し行って 脇道に入っていくと 三叉路があり 薬局屋さんがあります。

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このへんはかつて、「ボテンショの池」と呼ばれた池があり、大正時代には埋め立てられましたが 傍らの三本松が残され、三本松の八平狸の祠(ほこら)と呼んで地元の人の信仰の対照となっていました。しかし、昭和初期には伐採されてしまったそうです。

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程なく行きますと またまた 地蔵尊が見えてきました。

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なにやら 開運と書いてある提灯を見ると たいそうご利益がありそうで、思わずお参りしてしまいます。

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JR大和路線の高架をくぐるとすぐに 立派な 地蔵尊が見えてきました。

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「八反田地蔵」

文政年間に天王寺村の人々が五穀豊穣、無病息災を願ってこの地に奉祀したのが始まりです。

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ご本尊は じつは阿弥陀如来様で古くは大坂夏の陣で亡くなった豊臣方の武士の霊を弔うために奉祀されたという説もあるんです。今では霊験アラタカな阿弥陀様と地蔵菩薩様をお参りするため 八月に盛大なお祭りが行なわれます。

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八反田地蔵から大通りにでて、陸橋を渡り天王寺町に入ります。

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将軍延命地蔵はほんとに 住宅地の真っ只中にありますよ。

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ここからさらに西に行くと 少し大きなお寺がありました。

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「法山時」は真宗大谷派の寺院で明治時代には大きなサボテンがあったのでサボテン寺とも言われていました。

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昭和20年(1945)3月13日の大阪大空襲の時、木像阿弥陀如来像、薬医門以外は消失してしまいました。
昭和25年(1950)に天王寺区伶人町から移転し、美しい本尊を納めています。ちなみに薬医門は病人の往来を妨げないために扉の無い門で、室町時代に寺院と医師の家に使われたそうです。

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さて、もうすぐ目的地の美章園まであと少しです。

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近鉄電車の高架に「美章園駅」の看板が見えてきました。

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近鉄 河堀口駅付近の様子ですが・・・

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河堀口(こぼれぐち)は平安の時代 和気清麻呂が桓武天皇の命を受けて氾濫が多かった大和川の付け替え工事をした跡だと言われています。延べ23万人を投じた巨大プロジェクトにもかかわらず資金が続かず失敗しました。茶臼山の海底湖や谷町筋の堀越神社前の窪地はその跡だといわれています。

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さらに 美章園まで高架下の道を行きます。

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昔ながらのお茶屋さんがあったりして・・・

やがて美章園商店街に進みますと ひとつのお店が目につきました。

「野根まんぢう」

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かつて幕末の時代、坂本龍馬や中岡慎太郎たちが上洛するおりに、街道筋にある野根を通り宿場の茶店で味わったと言われる饅頭です。土佐名物「野根まんぢう」参勤交代のおりに土佐藩主・山内容堂も食したといわれます。

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大正7年創業の福田屋さんは高知県安芸郡野根から昭和63年に阿倍野に移転し、老舗の味を守り続けています。

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最後に美章園駅の近くにある 小さな祠です。

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昭和20年(1945)2月14日に阪和線美章園駅に落下した1トン爆弾は橋脚を破壊し付近の住民をもまきぞいにし、死傷者30名という被害が出ました。

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当時の駅職員たちの手で昭和26年(1951)8月24日供養の碑が建てられました。

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ついに美章園までたどり着きましたね。

たった一駅といえども いろんな場所があって面白かったです。

もっと突き詰めて 見ておけば良かったかなと思いましたが この程度の町歩きでは十分でしょう。

次回はどこに行こうかと 思いめぐらすのも 楽しいひと時です。

ちなみに 次回は大阪天満宮あたりに出没しますよ。こぐまね は。。¥^ー^
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