鴻池新田会所 3~井路川舟と庭園~奥座敷へ
新田会所は創設以来、増改築と修復が繰り返され、1985年からの10年間で、江戸時代末期、嘉永6年(1853)の状態に復元修理されました。
蔵のなかの展示物に魅入った後、外に出てみると こんな大きな舟が・・・・
当時の農産物を運び出すのに使ったものでしょう。実際に裏長屋門から出てみると舟着場跡があります。
ここから 横の木戸を抜けると 庭園がありますね。
この続きでは 庭園から見た 本屋の建物と座敷の様子も紹介します。
続けてご覧くださいね・・・この季節、あまりみどり豊かでないため、心なしか寂しい庭園ですが、それでも手入れがなされている様子がうかがえます。
かつては 東の方向に 生駒山を望み、それを写しとった庭園だったそうです。弁天池を設け、様々な植木の刈り方で変化が楽しめますね。
さて、庭園から 本屋に向かうことにしましょう。なかなか立派な建物で 昔の旅館のようですね。
中庭には 庭石が配されて 趣をかもし出しております。
土間から 靴を脱いで 奥座敷に上がります。意外と天井が低いんです。
手前から 庭の見える 縁側付近まで いくつもの座敷を通るんですな。
目の前の 庭園風景が また素晴らしいでしょう。 ここの 座敷は 俳句会や茶会などに利用することも出来るようになってます。
実際に 内部を見ると 当時の建物の大きさが わかりますね。 ほんとに昔の家屋は造りが頑丈で 広いです。
再び土間から 建物遠景を 眺めつつ 奥長屋門から舟着き場横の 出口に向かいました。
出口を抜けると 石碑が建ち しばらく歩くと 「鴻池新田会所之碑」が建っております。
さて、今回で 鴻池新田会所の訪問記は 終わりです。最後までご覧いただき ありがとうございました。
こぐまね は、この後 再び JR鴻池新田駅に戻り、ここから 住道まで延びる 「古提街道」を歩くことにしました。この街道すじにも 様々な史跡や神社仏閣があり 興味深いですよ。
京街道から 別れ 鯰江川の 提横を通り。最終的には 生駒山を抜ける道は 野崎観音参りの道としても 昔から親しまれ、人の行き来が盛んでした。
次の機会に まとめて紹介しますね。 こう 御期待を・・・。。¥^^
蔵のなかの展示物に魅入った後、外に出てみると こんな大きな舟が・・・・
当時の農産物を運び出すのに使ったものでしょう。実際に裏長屋門から出てみると舟着場跡があります。
ここから 横の木戸を抜けると 庭園がありますね。
この続きでは 庭園から見た 本屋の建物と座敷の様子も紹介します。
続けてご覧くださいね・・・この季節、あまりみどり豊かでないため、心なしか寂しい庭園ですが、それでも手入れがなされている様子がうかがえます。
かつては 東の方向に 生駒山を望み、それを写しとった庭園だったそうです。弁天池を設け、様々な植木の刈り方で変化が楽しめますね。
さて、庭園から 本屋に向かうことにしましょう。なかなか立派な建物で 昔の旅館のようですね。
中庭には 庭石が配されて 趣をかもし出しております。
土間から 靴を脱いで 奥座敷に上がります。意外と天井が低いんです。
手前から 庭の見える 縁側付近まで いくつもの座敷を通るんですな。
目の前の 庭園風景が また素晴らしいでしょう。 ここの 座敷は 俳句会や茶会などに利用することも出来るようになってます。
実際に 内部を見ると 当時の建物の大きさが わかりますね。 ほんとに昔の家屋は造りが頑丈で 広いです。
再び土間から 建物遠景を 眺めつつ 奥長屋門から舟着き場横の 出口に向かいました。
出口を抜けると 石碑が建ち しばらく歩くと 「鴻池新田会所之碑」が建っております。
さて、今回で 鴻池新田会所の訪問記は 終わりです。最後までご覧いただき ありがとうございました。
こぐまね は、この後 再び JR鴻池新田駅に戻り、ここから 住道まで延びる 「古提街道」を歩くことにしました。この街道すじにも 様々な史跡や神社仏閣があり 興味深いですよ。
京街道から 別れ 鯰江川の 提横を通り。最終的には 生駒山を抜ける道は 野崎観音参りの道としても 昔から親しまれ、人の行き来が盛んでした。
次の機会に まとめて紹介しますね。 こう 御期待を・・・。。¥^^
2011-02-26 20:09
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by お名前(必須) (2020-09-13 20:53)