千間川(せんげんがわ)跡に古民家と町屋ノスタルジア~緑橋 パート3 [大阪市城東区]
寝屋川は交野市星田の山地を水源とし、城東区内で旧大和川と合流します。戦後になって都市化が進み、雨量が増量してきて洪水の危険性が増してきました。このため寝屋川水系を2分して、長瀬川などの南側の水は新しく開削された第二寝屋川に集中されました。完成したのは昭和44年のことです。
中浜下水処理場の桜
白山神社
1394年の古くから中浜・鴫野などの諸村の氏神様でした。信長の時代にいったん消失されましたが秀吉によって再建されました。しかし、大坂冬の陣で再び消失し、その後も幾たびか改築・修理がなされています。
境内にある イチョウの木は大阪市内で一番大きなもので高さが23メートルもあります。
枝ぶりもよく大阪の天然記念物に指定されています。
狛犬も大変勇ましく 吼えていました。
正圓寺
中浜菁莪塾(なかはましょうがじゅく)旧跡
寺子屋・中浜菁莪塾(なかはましょうがじゅく)は寛永元年(1847)、正圓寺の住職が本堂を中浜の子供たちに学びの場として開放したことに始まるとされています。
その学び舎は明治まで続きましたが明治18年の淀川大水害によって全村が水没するにいたって自然と廃校に追い込まれました。
延命地蔵尊
この界隈にある地蔵尊の中でも一番大きいものです。再び杉山街道跡の道を歩いて中浜下水処理場へと向かいます。途中、上城見橋から見た最後の桜風景です。
半分、葉桜になってますね。
中浜下水処理場
津守、海老江下水処理場に続き、大阪市に3番目の処理場として昭和35年に建設。処理方法は標準活性汚泥法で高級処理が施されて第2寝屋川に放流されています。場内には「せせらぎの憩いの広場」があり城東区内の桜の名所としてシーズンには沢山の人出があります。
桜はこのように 本当に桜吹雪となって地面一面が真っ白です。動画でご覧下さいね。
ずいぶん古い時代の下水道の模型です。こんなレンガで回りを固めて流していたんですね。
せせらぎの流れは全てここの下水処理場の水が流されていましたが、流れには沢山の鯉が泳いでいました。
せせらぎの流れの中に泳ぐ鯉が見えますか?
最後に見える花のアップもいい感じでしょう
処理場の出口近くには 30周年記念の碑が建てられていました。
下水処理場を後にして 再び緑橋界隈の町屋ブラリ歩きを続けていきます。
次回へ~~。。¥^^
中浜下水処理場の桜
白山神社
1394年の古くから中浜・鴫野などの諸村の氏神様でした。信長の時代にいったん消失されましたが秀吉によって再建されました。しかし、大坂冬の陣で再び消失し、その後も幾たびか改築・修理がなされています。
境内にある イチョウの木は大阪市内で一番大きなもので高さが23メートルもあります。
枝ぶりもよく大阪の天然記念物に指定されています。
狛犬も大変勇ましく 吼えていました。
正圓寺
中浜菁莪塾(なかはましょうがじゅく)旧跡
寺子屋・中浜菁莪塾(なかはましょうがじゅく)は寛永元年(1847)、正圓寺の住職が本堂を中浜の子供たちに学びの場として開放したことに始まるとされています。
その学び舎は明治まで続きましたが明治18年の淀川大水害によって全村が水没するにいたって自然と廃校に追い込まれました。
延命地蔵尊
この界隈にある地蔵尊の中でも一番大きいものです。再び杉山街道跡の道を歩いて中浜下水処理場へと向かいます。途中、上城見橋から見た最後の桜風景です。
半分、葉桜になってますね。
中浜下水処理場
津守、海老江下水処理場に続き、大阪市に3番目の処理場として昭和35年に建設。処理方法は標準活性汚泥法で高級処理が施されて第2寝屋川に放流されています。場内には「せせらぎの憩いの広場」があり城東区内の桜の名所としてシーズンには沢山の人出があります。
桜はこのように 本当に桜吹雪となって地面一面が真っ白です。動画でご覧下さいね。
ずいぶん古い時代の下水道の模型です。こんなレンガで回りを固めて流していたんですね。
せせらぎの流れは全てここの下水処理場の水が流されていましたが、流れには沢山の鯉が泳いでいました。
せせらぎの流れの中に泳ぐ鯉が見えますか?
最後に見える花のアップもいい感じでしょう
処理場の出口近くには 30周年記念の碑が建てられていました。
下水処理場を後にして 再び緑橋界隈の町屋ブラリ歩きを続けていきます。
次回へ~~。。¥^^
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