千間川(せんげんがわ)跡に古民家と町屋ノスタルジア~緑橋 最終回 [大阪市城東区]
千間川跡の古い町並みを散策するぶらり歩きも最終回。実はこの頃の時間帯になって雨もちらほら降ってきましたので足早の紹介になります。
町並みは相変わらず昭和のにおいがしてくるような感じですね。
こんな横町の飲み屋の看板に思わず笑わされてしまいました。
古い建物の間には新築の住宅が続々と建っているのですが やはり木造の家作りを見ると癒されます。
道すがら目に付くのは地蔵尊の数々です。かつて江戸時代に起こった淀川の大洪水で亡くなった人々や子供の供養に立てられたものも多いと聞きます。
さらに足を進めるとやがて中浜本町商店街に出てきます。
理容店の趣きも正にレトロ調ですね。
商店街も昼間は活気があるんでしょうがこの日はひっそりしていました。
東本稲荷神社
宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)を祭神としている神社です。衣食住の神様、商売繁盛の神様として商店街の真ん中に建てられていました。天正4年(1576)の兵乱で本殿が焼失、その後も再建されましたが大坂夏の陣で再び焼失し、江戸時代に再建されるも 明治になって大洪水によって流失という とても興亡の運命をになっている神社です。
さてさて、商店街を抜けて、緑橋の駅に帰ってきました。
最後に地下鉄に乗って帰ろうとしたところ ふと上の看板に引き付けられてしまいました。
戦国大統領
おそるおそる地下に潜っていくと こんなお店がありました。ライブハウス風の居酒屋でしょうかね・・・
いやいや わかりませんけど 今回のぶらり町歩きもこれでおしまい。なかなか足早でしたが、更新の時期がずれて いささか残念ですね。
次回は もっと早く更新できるように頑張りますので どうぞよろしく~~。。¥^^
町並みは相変わらず昭和のにおいがしてくるような感じですね。
こんな横町の飲み屋の看板に思わず笑わされてしまいました。
古い建物の間には新築の住宅が続々と建っているのですが やはり木造の家作りを見ると癒されます。
道すがら目に付くのは地蔵尊の数々です。かつて江戸時代に起こった淀川の大洪水で亡くなった人々や子供の供養に立てられたものも多いと聞きます。
さらに足を進めるとやがて中浜本町商店街に出てきます。
理容店の趣きも正にレトロ調ですね。
商店街も昼間は活気があるんでしょうがこの日はひっそりしていました。
東本稲荷神社
宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)を祭神としている神社です。衣食住の神様、商売繁盛の神様として商店街の真ん中に建てられていました。天正4年(1576)の兵乱で本殿が焼失、その後も再建されましたが大坂夏の陣で再び焼失し、江戸時代に再建されるも 明治になって大洪水によって流失という とても興亡の運命をになっている神社です。
さてさて、商店街を抜けて、緑橋の駅に帰ってきました。
最後に地下鉄に乗って帰ろうとしたところ ふと上の看板に引き付けられてしまいました。
戦国大統領
おそるおそる地下に潜っていくと こんなお店がありました。ライブハウス風の居酒屋でしょうかね・・・
いやいや わかりませんけど 今回のぶらり町歩きもこれでおしまい。なかなか足早でしたが、更新の時期がずれて いささか残念ですね。
次回は もっと早く更新できるように頑張りますので どうぞよろしく~~。。¥^^
千間川(せんげんがわ)跡に古民家と町屋ノスタルジア~緑橋 パート3 [大阪市城東区]
寝屋川は交野市星田の山地を水源とし、城東区内で旧大和川と合流します。戦後になって都市化が進み、雨量が増量してきて洪水の危険性が増してきました。このため寝屋川水系を2分して、長瀬川などの南側の水は新しく開削された第二寝屋川に集中されました。完成したのは昭和44年のことです。
中浜下水処理場の桜
白山神社
1394年の古くから中浜・鴫野などの諸村の氏神様でした。信長の時代にいったん消失されましたが秀吉によって再建されました。しかし、大坂冬の陣で再び消失し、その後も幾たびか改築・修理がなされています。
境内にある イチョウの木は大阪市内で一番大きなもので高さが23メートルもあります。
枝ぶりもよく大阪の天然記念物に指定されています。
狛犬も大変勇ましく 吼えていました。
正圓寺
中浜菁莪塾(なかはましょうがじゅく)旧跡
寺子屋・中浜菁莪塾(なかはましょうがじゅく)は寛永元年(1847)、正圓寺の住職が本堂を中浜の子供たちに学びの場として開放したことに始まるとされています。
その学び舎は明治まで続きましたが明治18年の淀川大水害によって全村が水没するにいたって自然と廃校に追い込まれました。
延命地蔵尊
この界隈にある地蔵尊の中でも一番大きいものです。再び杉山街道跡の道を歩いて中浜下水処理場へと向かいます。途中、上城見橋から見た最後の桜風景です。
半分、葉桜になってますね。
中浜下水処理場
津守、海老江下水処理場に続き、大阪市に3番目の処理場として昭和35年に建設。処理方法は標準活性汚泥法で高級処理が施されて第2寝屋川に放流されています。場内には「せせらぎの憩いの広場」があり城東区内の桜の名所としてシーズンには沢山の人出があります。
桜はこのように 本当に桜吹雪となって地面一面が真っ白です。動画でご覧下さいね。
ずいぶん古い時代の下水道の模型です。こんなレンガで回りを固めて流していたんですね。
せせらぎの流れは全てここの下水処理場の水が流されていましたが、流れには沢山の鯉が泳いでいました。
せせらぎの流れの中に泳ぐ鯉が見えますか?
最後に見える花のアップもいい感じでしょう
処理場の出口近くには 30周年記念の碑が建てられていました。
下水処理場を後にして 再び緑橋界隈の町屋ブラリ歩きを続けていきます。
次回へ~~。。¥^^
中浜下水処理場の桜
白山神社
1394年の古くから中浜・鴫野などの諸村の氏神様でした。信長の時代にいったん消失されましたが秀吉によって再建されました。しかし、大坂冬の陣で再び消失し、その後も幾たびか改築・修理がなされています。
境内にある イチョウの木は大阪市内で一番大きなもので高さが23メートルもあります。
枝ぶりもよく大阪の天然記念物に指定されています。
狛犬も大変勇ましく 吼えていました。
正圓寺
中浜菁莪塾(なかはましょうがじゅく)旧跡
寺子屋・中浜菁莪塾(なかはましょうがじゅく)は寛永元年(1847)、正圓寺の住職が本堂を中浜の子供たちに学びの場として開放したことに始まるとされています。
その学び舎は明治まで続きましたが明治18年の淀川大水害によって全村が水没するにいたって自然と廃校に追い込まれました。
延命地蔵尊
この界隈にある地蔵尊の中でも一番大きいものです。再び杉山街道跡の道を歩いて中浜下水処理場へと向かいます。途中、上城見橋から見た最後の桜風景です。
半分、葉桜になってますね。
中浜下水処理場
津守、海老江下水処理場に続き、大阪市に3番目の処理場として昭和35年に建設。処理方法は標準活性汚泥法で高級処理が施されて第2寝屋川に放流されています。場内には「せせらぎの憩いの広場」があり城東区内の桜の名所としてシーズンには沢山の人出があります。
桜はこのように 本当に桜吹雪となって地面一面が真っ白です。動画でご覧下さいね。
ずいぶん古い時代の下水道の模型です。こんなレンガで回りを固めて流していたんですね。
せせらぎの流れは全てここの下水処理場の水が流されていましたが、流れには沢山の鯉が泳いでいました。
せせらぎの流れの中に泳ぐ鯉が見えますか?
最後に見える花のアップもいい感じでしょう
処理場の出口近くには 30周年記念の碑が建てられていました。
下水処理場を後にして 再び緑橋界隈の町屋ブラリ歩きを続けていきます。
次回へ~~。。¥^^
千間川(せんげんがわ)跡に古民家と町屋ノスタルジア~緑橋 パート2 [大阪市城東区]
千間川は明治初年、農業用水と農作物の運搬のための運河として人工で開削された川です。平野川から河内高井田までが結ばれて20あまりの橋がかかり緑橋もそのひとつでした。しかし、界隈の都市化が進み、水田も減ったためその役割を終え、順次埋め立てられる事になりました。跡地は緑陰道路として整備され公園も造られました。
アンティークなつくりの町屋再生複合施設~燈~あかりの前を通ります。なんか懐かしいミゼットなんかが飾ってあったり大阪万博のポスターが貼ってあったりします。
近くの喫茶店の前にあるものもなかなかの年代物です。
アンティークなつくりの町屋再生複合施設~燈~あかりの前を通ります。なんか懐かしいミゼットなんかが飾ってあったり大阪万博のポスターが貼ってあったりします。
近くの喫茶店の前にあるものもなかなかの年代物です。
千間川(せんげんがわ)跡に古民家と町屋ノスタルジア~緑橋 [大阪市城東区]
ここ緑橋界隈には、かつて千間川(せんげんがわ)と呼ばれた川、西の平野川と東大阪の市界となる東高野街道を結ぶ用水路があった。
その長さが千間(1800メートル)あったところから千間川(せんげんがわ)と呼ばれ、東成から市内へと小舟で行き交う人も多かったそうな。
昭和40年代にすっかり埋め立てられてしまって面影も計るべくも無いがかつては ゆかしい20もの橋がかかり小舟で行き交う人々の姿も見受けられたそうです。
その当時のままのようなたたずまいの古民家がこの界隈には多いので、ぶらりと散策してみました。
町屋を再生した複合施設などもあったりして なかなか面白い町並みでした。
町屋再生複合施設 『燈』~あかり~
2009年にオープンして古きものを生かして 新しい時代につなぐ場所として活用されています。
大正初期に立てられた町屋を改装して飲食店や帽子屋さんになってます。また、秋には文化祭も開かれてアート作品の発表の場や地域の文化発信の拠点になっています。
大通りのかたわらには「千間川」の碑が建っておりました。
実は この界隈を歩いたのは もう2ヶ月も前のことで桜が散り始めていた頃です。
シリーズの後半には 大阪市城東区にある中浜下水処理場の桜吹雪をお目にかけますね。
では、次回の記事まで~お楽しみに~。。¥^^
その長さが千間(1800メートル)あったところから千間川(せんげんがわ)と呼ばれ、東成から市内へと小舟で行き交う人も多かったそうな。
昭和40年代にすっかり埋め立てられてしまって面影も計るべくも無いがかつては ゆかしい20もの橋がかかり小舟で行き交う人々の姿も見受けられたそうです。
その当時のままのようなたたずまいの古民家がこの界隈には多いので、ぶらりと散策してみました。
町屋を再生した複合施設などもあったりして なかなか面白い町並みでした。
町屋再生複合施設 『燈』~あかり~
2009年にオープンして古きものを生かして 新しい時代につなぐ場所として活用されています。
大正初期に立てられた町屋を改装して飲食店や帽子屋さんになってます。また、秋には文化祭も開かれてアート作品の発表の場や地域の文化発信の拠点になっています。
大通りのかたわらには「千間川」の碑が建っておりました。
実は この界隈を歩いたのは もう2ヶ月も前のことで桜が散り始めていた頃です。
シリーズの後半には 大阪市城東区にある中浜下水処理場の桜吹雪をお目にかけますね。
では、次回の記事まで~お楽しみに~。。¥^^