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天王寺七坂巡り ③~愛染坂・口縄坂 [大阪市天王寺区]

大阪の清水の舞台で 鐘をひとつきして また伶人町界隈を 北に歩んでいきます。

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すぐに清水の坂があり 石垣の続く坂を 往復してみました。

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けっこうきつい坂にもかかわらず このまちの人々の通り道になっています。

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ふたたび 通りを北の方向に歩くこと少しのところに また坂道があります。

石碑には 「愛染坂」と書いてありました。どこかで聞いたことのある名ですが 思い出せませんでした。

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この坂も 結構きついですが 坂の途中には 神社がありました。


大江神社

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太古の昔、大阪湾がこの辺まで迫っていて「大江」という地名は その名残です。

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天王寺七宮(上之宮・小儀・土塔・河堀・久保・堀越・大江)のひとつです。

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乾の社として毘沙門天を本尊としておりましたが、明治初期の神仏分離政策により、現在は豊受大神を祀っています。境内には芭蕉の句碑や夕陽ヶ丘碑があります。


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境内にはたくさんの猫がのんびりと時を過ごしていました。

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こんなところにもいましたよ・・・

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のぼりきると百まで生きる、「百段の階段」がありますが、いったい本当は何段あるのでしょうか。

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ところで この神社には 狛犬ならぬ 狛虎なるものがおられ 大阪の阪神タイガースファンの優勝祈願の神社としても有名です。

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ほんと タイガースバットが お供えされていますね。

愛染坂をさらに 登り切りますと 勝鬘院(しょうまんいん」、愛染堂があります。

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創建年代は明らかではないですが 聖徳太子が四天王寺を建立した際の施薬院の後身といわれます。

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勝鬘院の名は、太子がこの地で 勝鬘経を講じたことかろ由来しており、金堂には愛染明王が本尊として奉安されたことから 大阪市民の間から「愛染さん」と呼ばれ 親しまれています。  

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愛染明王は恋愛、縁結び、家庭円満を司り、男女の仲を取り持つ神として 毎年6月晦日に行なわれる「愛染まつり」で、大阪の夏祭りが始まります。

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愛染娘の宝恵籠行列は一度見にいきたいですね。

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境内のいたるところにある 「哲学の椅子」 物思いにふけるのにはぴったりですか?

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金堂北側の 多宝塔は 593年に聖徳太子によって創建されたものですが 戦国時代、石山合戦の際 信長に焼き払われました。その後 慶長2年(1597) 豊臣秀吉によって戦勝祈願のため再建されました。

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大阪市内最古の木造建築で 党の内部には 大日大勝金剛尊が奉安され、内壁には極彩色の壁画が描かれています。

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再び 愛染坂を下ってきては北に進むと またまた 長く続く坂道が・・・

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口縄坂という珍しい名前の坂道。

下のほうから見ると蛇のように見えるところからこの名がついたとされます。

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このちかくには 織田作之助の「木の都」の文学碑があり「口縄坂は寒々と木が枯れて、白い風が走っていた」デ始まる碑がたっているそうです。

今回は 上のほうまではいけませんでした。


さて、口縄坂より さらに 北の方向に向かって歩いていきます。

次回は 天王寺界隈の 寺巡りもしながら 生玉神社までの道のりです。


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