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天王寺七坂巡り ⑤~真言坂・生國魂神社 [大阪市天王寺区]

天王寺界隈の七坂を巡る町歩きも最終回です。

源聖寺坂から北に進むこと少しのところに 「いくたまさん」で親しまれている「生國魂神社」があります。

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神武天皇が九州より難波津に上陸した際、現在の大阪湾のあたり(上町台地の北端)に生島大神、足島(たるしま)大神を祀ったのが始まりです。

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神社までの坂も急なものがあります。

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坂を登りきったところに道標がありました。

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ここから下ったところに坂の石碑が建っております。

真言坂

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生國魂神社の神宮寺であった生玉十坊のうち、この坂のあたりの六坊がすべて真言宗であったことから坂の名前がつきました。


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山道から大鳥居をくぐると すぐに広い境内が現れます。

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生國魂神社の本殿は他に例のない建築様式で「生國魂造」として知られております。

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拝殿正面の荘厳さもすばらしく、その昔から 宮中の例祭にあたっては神祇官から弊帛が最高の待遇を受けた神社であることがわかります。

また、上方芸能にゆかりのある神社で境内には西鶴像や上方落語の普及に努めた 米澤彦八の碑があります。

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上方落語の祖、米澤彦八は生國魂神社の境内で「当方仕方物真似」の興行を催し、公家や大名の立ち振る舞いを面白おかしく演じたそうです。

さすが大阪らしい反権力の笑いですね。

また、芸能上達にご利益のある浄瑠璃神社もありました。

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淀君ゆかりの神社でその昔、「鴫野の弁天さん」として大阪城の東側に祭られていた「鴫野神社」があります。

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この弁天様を淀君がことのほか篤く崇拝し、弁天社の横に「淀姫社」として祀られたほどです。

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今では 女性の守り神として縁結びの神様として霊験あらたかとの評判がつき、お参りする人が群れをなしたと言い伝えられています。

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本殿後方は断崖となっており 今でこそ木が生い茂っていますが、かつては大阪市内が一望できたそうです、

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さて、日暮れも近づき あたりも 夕日が差し込んできそうな気配ですので この辺で 生國魂神社をあとにして帰路につくことにしました。

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四天王寺さんの参拝から 天王寺七坂巡りまで 何日間かの 町歩きの中の 写真をまとめて 記事にしたのですこし ちぐはぐな所もありましたが なんとかご覧くださり ありがとうございました。

天王寺界隈の町歩きは 今回でいったん終了ですが、まだまだ 見落とした 名所・旧跡がたくさんあります。

また、次回に訪れる時には あらたな発見があるように 楽しみにしておいてくださいね。

それでは 最後に 天王寺から眺めた 夕日の中の 通天閣でお別れです。。¥^^

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天王寺七坂巡り ④~源聖寺坂・真言坂 [大阪市天王寺区]

口縄坂から松屋町筋を北に向かうと 沢山のお寺が建ち並んでいます。

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遊行寺(円成院)の入口に建つ「植村文楽軒墓所」の碑

人形浄瑠璃のことを「文楽」というが、これは初代植村文楽軒が、江戸時代後期・寛政のころ(1789~1801年)に大坂は高津橋南詰西側の浜辺で、浄瑠璃の稽古場を開き、その後、文化2年頃(1805年)人形浄瑠璃の小屋を設けたことに由来し、これが後の文楽座の始まりとされる。
 初代植村文楽軒は淡路島の人で、本名は正井嘉兵衛。13歳頃から伝統ある淡路浄瑠璃の花形で、中国筋を巡業し、名声を博したといわれる。1810年(文化7年)没。

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この辺はお寺が多いですね

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町並みもこんな感じで時代が感じられます

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新撰組がここ大阪にたびたび 滞在した寺が万福寺です

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京都から大阪の地にところを移しても 近藤勇らは 大阪市中を警護命じられています

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大阪に残る新撰組の史跡として珍しいものです。

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源聖寺坂

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ここも急な坂になりますが 登り口に源聖寺があることからその名が付けられています

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戦前は坂を上がりきったところに長屋が並び、「ガタロ横町」と呼ばれ、織田作之助の「夫婦善哉」の舞台になりました。

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さらに お寺巡りをすると こんなところにも出会います

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大蓮寺

天文19年(1550)に将軍・足利義満の三男坊・晴誉上人によって、足利家の大坂祈願所として創建されました。
近世から大規模な寺子屋が開かれ、明治以降は高津小学校や天王寺中学校の発祥の地として知られます。

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ここには吉本興業の創始者・吉本せいかが、数ある芸能の中でも芸人が卑下されることを嘆いて「亡くなった芸人さんの供養塚があればという遺志に基づいて 「吉本芸人の墓」があります。

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ひっそりとした境内の中に その石碑が建てられています。

ここからすぐのところに 生玉神社に通じる 坂道があります。

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まずは 大きな鳥居に掛かる 垂れ幕を 眺めて ひたすら 生玉神社に 向かいますね。。¥^^

天王寺七坂巡り ③~愛染坂・口縄坂 [大阪市天王寺区]

大阪の清水の舞台で 鐘をひとつきして また伶人町界隈を 北に歩んでいきます。

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すぐに清水の坂があり 石垣の続く坂を 往復してみました。

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けっこうきつい坂にもかかわらず このまちの人々の通り道になっています。

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ふたたび 通りを北の方向に歩くこと少しのところに また坂道があります。

石碑には 「愛染坂」と書いてありました。どこかで聞いたことのある名ですが 思い出せませんでした。

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この坂も 結構きついですが 坂の途中には 神社がありました。


大江神社

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太古の昔、大阪湾がこの辺まで迫っていて「大江」という地名は その名残です。

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天王寺七宮(上之宮・小儀・土塔・河堀・久保・堀越・大江)のひとつです。

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乾の社として毘沙門天を本尊としておりましたが、明治初期の神仏分離政策により、現在は豊受大神を祀っています。境内には芭蕉の句碑や夕陽ヶ丘碑があります。


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境内にはたくさんの猫がのんびりと時を過ごしていました。

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こんなところにもいましたよ・・・

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のぼりきると百まで生きる、「百段の階段」がありますが、いったい本当は何段あるのでしょうか。

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ところで この神社には 狛犬ならぬ 狛虎なるものがおられ 大阪の阪神タイガースファンの優勝祈願の神社としても有名です。

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ほんと タイガースバットが お供えされていますね。

愛染坂をさらに 登り切りますと 勝鬘院(しょうまんいん」、愛染堂があります。

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創建年代は明らかではないですが 聖徳太子が四天王寺を建立した際の施薬院の後身といわれます。

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勝鬘院の名は、太子がこの地で 勝鬘経を講じたことかろ由来しており、金堂には愛染明王が本尊として奉安されたことから 大阪市民の間から「愛染さん」と呼ばれ 親しまれています。  

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愛染明王は恋愛、縁結び、家庭円満を司り、男女の仲を取り持つ神として 毎年6月晦日に行なわれる「愛染まつり」で、大阪の夏祭りが始まります。

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愛染娘の宝恵籠行列は一度見にいきたいですね。

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境内のいたるところにある 「哲学の椅子」 物思いにふけるのにはぴったりですか?

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金堂北側の 多宝塔は 593年に聖徳太子によって創建されたものですが 戦国時代、石山合戦の際 信長に焼き払われました。その後 慶長2年(1597) 豊臣秀吉によって戦勝祈願のため再建されました。

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大阪市内最古の木造建築で 党の内部には 大日大勝金剛尊が奉安され、内壁には極彩色の壁画が描かれています。

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再び 愛染坂を下ってきては北に進むと またまた 長く続く坂道が・・・

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口縄坂という珍しい名前の坂道。

下のほうから見ると蛇のように見えるところからこの名がついたとされます。

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このちかくには 織田作之助の「木の都」の文学碑があり「口縄坂は寒々と木が枯れて、白い風が走っていた」デ始まる碑がたっているそうです。

今回は 上のほうまではいけませんでした。


さて、口縄坂より さらに 北の方向に向かって歩いていきます。

次回は 天王寺界隈の 寺巡りもしながら 生玉神社までの道のりです。


天王寺七坂巡り ②~天神坂・清水坂 [大阪市天王寺区]

一心寺を離れ 逢坂の道を横断して 天王寺七坂めぐりの続きをしますね。

ほどなく 歩くこと 西の方向に 急な下り坂があります。

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坂の途中にはこんな石碑があるんです。

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江戸時代からなにわのまちでは 水質の良い水を求めて 上町台地周辺の水を売り歩く商売が盛んでした。

天神坂

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この坂は安居神社に通ずる坂道なのでこの名が付いたそうです。

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ますは 安居神社の急な石段に遭遇。

安居神社には天王寺七名水の一つ、安居の清水があり、「かんしずめの井」と呼ばれ有名であったが、今は枯れてしまい、井戸枠だけが残っています。

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この神社の狛犬様は 頭がつるっとしていてなんか変ですね。

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かつて大坂夏の陣で奮戦、壮絶な討死をした 真田幸村の戦没地としても有名です。

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毎年、命日の5月7日付近の休日には幸村の故郷の長野県上田市の関係者や全国の幸村ファンが慰霊のため集まり「幸村まつり」が行われます。

天神坂を北に歩くとすぐ、七名水のひとつ、「増井の清水」がありました。

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現在は屋敷地の中の奥に柵に囲まれた井戸の屋形が残されているだけです。

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かつては 上下2段の水枠に分かれ、上方は侍方、下方は町人方としたそうです。

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このあたりの まち並みは 「伶人町」といい、古く四天王寺の楽師が居住したことから由来する地名です。

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しばらく行くと なだらかな坂道のさきに 寺の門柱があります。

清水寺

有栖山清光院清水寺といい、四天王寺の支院であります。創建は不詳で、もとは有栖寺(うすじ)と呼ばれており、寛永17年(1640)に延海大阿闍梨寺が京都・清水寺を模して中興しました。

十一面千手観世音菩薩を本尊としております。

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このように清水の舞台もあり、往時は大坂のまちや 大阪湾を見下ろせる眺望の地として 多くの参拝者が訪れました。

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また、音羽の滝とそっくりな 大阪市唯一の天然の滝 「玉出の滝」があります。

この滝は 四天王寺の本堂下の青龍池とつながる霊水とされ、ときおり行者が滝に打たれ修行する姿も見られます。



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清水の舞台からは かの有名な大阪のシンボル 「通天閣」も眺められますよ。

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日没まじかには さぞ夕陽が綺麗なことでしょう。 夕陽燦燦の坂のまちにふさわしい 見晴らしです。

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この地で 西方浄土に想いをはせ 鐘の音に聞き入るとき 無念に散った 幸村や この地で 客死した芭蕉の浮瀬(うかむせ)などを 思い起こさせます。

まだまだ、天王寺の夕陽丘の 坂めぐりは続きます。

天王寺七坂巡り ①~逢坂・一心寺 [大阪市天王寺区]

天王寺公園北口あたりから 東に上り坂になる道があります。

ここは天王寺七坂と呼ばれる坂のひとつで、「逢坂」と名付けられてます。

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坂の途中に大きな寺があり 参道が続きます。

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一心寺

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斬新な山門と仁王像に 驚かされますが、ここ一心寺は 文治元年(1185)に浄土宗宗祖 法然上人が四天王寺の館長だった慈円の招きで この地を訪れたことに始まります。

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のちに後白河法皇も訪れて、法然上人とともに、夕陽を拝む「日想観」を修せられたと伝えられます。

現在の境内は豊臣秀吉夫人 高台院の寄進と伝えられ、元和元年(1615)の大坂夏の陣では 徳川家康の本陣となったことでも知られています。


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ご本尊は阿弥陀如来像であります。

一心寺の納骨堂には、遺骨で出来た「お骨佛様」が奉安されています。

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江戸時代末期に一体目が開眼され10年ごとに 一体づつ造立する慣わしとなっておりましたが、第二次大戦で消失しました。 戦後、昭和23年(1948) 新たに 一体目が 開眼、現在六体がまつられています。

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ちょっと変わった 狛犬様でしょうか?

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この山門の仁王像は平成9年(1997)に完成したもので、ガラス屋根と鉄骨組の現代的なデザインが印象的ですが、建築家でもある現住職・高口恭行氏の設計によるものです。

また、奥の講堂では、地下に「一心寺シアター倶楽」があり、演劇や伝統芸能が上演され、なにわの情報発信基地としての役割も果たしています。

次に 順番に七坂を巡ることにします。
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