天王寺七坂巡り ①~逢坂・一心寺 [大阪市天王寺区]
天王寺公園北口あたりから 東に上り坂になる道があります。
ここは天王寺七坂と呼ばれる坂のひとつで、「逢坂」と名付けられてます。
坂の途中に大きな寺があり 参道が続きます。
一心寺
斬新な山門と仁王像に 驚かされますが、ここ一心寺は 文治元年(1185)に浄土宗宗祖 法然上人が四天王寺の館長だった慈円の招きで この地を訪れたことに始まります。
のちに後白河法皇も訪れて、法然上人とともに、夕陽を拝む「日想観」を修せられたと伝えられます。
現在の境内は豊臣秀吉夫人 高台院の寄進と伝えられ、元和元年(1615)の大坂夏の陣では 徳川家康の本陣となったことでも知られています。
ご本尊は阿弥陀如来像であります。
一心寺の納骨堂には、遺骨で出来た「お骨佛様」が奉安されています。
江戸時代末期に一体目が開眼され10年ごとに 一体づつ造立する慣わしとなっておりましたが、第二次大戦で消失しました。 戦後、昭和23年(1948) 新たに 一体目が 開眼、現在六体がまつられています。
ちょっと変わった 狛犬様でしょうか?
この山門の仁王像は平成9年(1997)に完成したもので、ガラス屋根と鉄骨組の現代的なデザインが印象的ですが、建築家でもある現住職・高口恭行氏の設計によるものです。
また、奥の講堂では、地下に「一心寺シアター倶楽」があり、演劇や伝統芸能が上演され、なにわの情報発信基地としての役割も果たしています。
次に 順番に七坂を巡ることにします。
ここは天王寺七坂と呼ばれる坂のひとつで、「逢坂」と名付けられてます。
坂の途中に大きな寺があり 参道が続きます。
一心寺
斬新な山門と仁王像に 驚かされますが、ここ一心寺は 文治元年(1185)に浄土宗宗祖 法然上人が四天王寺の館長だった慈円の招きで この地を訪れたことに始まります。
のちに後白河法皇も訪れて、法然上人とともに、夕陽を拝む「日想観」を修せられたと伝えられます。
現在の境内は豊臣秀吉夫人 高台院の寄進と伝えられ、元和元年(1615)の大坂夏の陣では 徳川家康の本陣となったことでも知られています。
ご本尊は阿弥陀如来像であります。
一心寺の納骨堂には、遺骨で出来た「お骨佛様」が奉安されています。
江戸時代末期に一体目が開眼され10年ごとに 一体づつ造立する慣わしとなっておりましたが、第二次大戦で消失しました。 戦後、昭和23年(1948) 新たに 一体目が 開眼、現在六体がまつられています。
ちょっと変わった 狛犬様でしょうか?
この山門の仁王像は平成9年(1997)に完成したもので、ガラス屋根と鉄骨組の現代的なデザインが印象的ですが、建築家でもある現住職・高口恭行氏の設計によるものです。
また、奥の講堂では、地下に「一心寺シアター倶楽」があり、演劇や伝統芸能が上演され、なにわの情報発信基地としての役割も果たしています。
次に 順番に七坂を巡ることにします。
2011-10-23 16:15
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