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西長堀川の幻の橋を訪ねて ②~白髪橋・問屋橋・富田屋橋から四ツ橋まで [大阪市西区]

長堀川、西長堀川には かつて 様々な橋がかかっており それぞれ 独特の名前が付けられています。
特に大阪の地名でも有名な「四ツ橋」由来などを 訪ねて 町歩きを 続けていきましょう。

~西長堀は 今は 公園に!かつての橋は いずこへ~

実に広い交差点ですが ここにもかつて 橋が架かっておりました。

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白髪橋

鰹座橋と 時同じ頃、架設され、北詰は新町3丁目、南詰めは北堀江3丁目にあたり 共に当時は 白髪町でした。

昔、新羅の船がここに 着岸してから それが訛って 白髪町・白髪橋となった説もあり、また当時 土佐藩が自国の白髪山から材木を伐出して、この地で市場を設けたことからとする説があります。

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交差点から少し南西に入ったところに あみだ池大黒が あります。普通の和菓子のお店のようですが ずいぶん歴史ある老舗です。

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文化2年(1805)創業です。長堀川畔には西国大名の蔵屋敷が建ち、年貢米を運ぶ船が多数 停泊します。
あみだ池大黒の初代・小林林之助は その船底にに貯まる余剰米に目を付けて、おこしの原料とすることを思いつきました。日露戦争当時には戦地に赴く兵士への明治天皇からの恩師の菓子としてここの おこしが選ばれました。

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三代目・小林利昌は不眠不休で生産に励んで、35万個を3ヵ月の納期に完納することができました。

その後、戦争が終わり、宮内庁御用達になった おこしは 大阪名物の お菓子となったのです。

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全国各地から集められた3500もの大黒様は 藏に納められ 戦災にもあわず 焼け残っています。

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あみだ池筋を 北に歩きますと お寺の門構え。

和光寺(阿弥陀池)

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あみだ池は古代から霊水が枠有難い池で 古くから霊験あらたかな池として有名です。

さて、かつての長堀川にあった ずいぶん長い公園を歩くことにしますね。

まず目についたのが この史跡です。

大阪木材市売市場発祥の地

元和元年(1622)頃、土佐藩の申請で 立売堀にて 材木商が始まり、この地に 蔵屋敷を構えるに至って 西長堀川でも材木商が許可されました。土佐や日向、紀州といったところから材木が集まり、西長堀南詰めから 富田屋橋、問屋屋橋、白髪橋にかけての浜は 昭和に至るまで年中 材木市が営んでいました。

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戦後、堀の水質汚染が進み、水運利用も少なくなり、西長堀川が埋め立てられ、その歴史に幕を降ろしました。
今でも 堀江界隈には 材木商の看板が点在していることがあります。

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問屋橋は、寛永2年(1625)の長堀川開削から明暦元年(1655)の間に架けられた橋です。問屋橋周辺には木材の問屋が建ち並びこれらの問屋が架設をまかなったことから 問屋橋と名付けられました。

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富田橋は、明暦3年(1657)から元禄元年(1688)の間に架けられたとされ、当時の豪商、富田屋の屋号にちなんで名付けられました。

富田屋橋のの橋上で、幕末の天文学者 間長涯が天文観測をしたことは有名で、観測をする際には一般の人を通行止にしたと言われています。

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間長涯は江戸中期の暦学者・天文学者で長堀で天文学を学び、江戸に出て 寛政9年(1797)に寛政歴を完成させました。幕府の直参取立てを断り、大坂に帰り、英国製の天文観測器具、技術を研究し、富田屋橋で天文観測に従事しました。卓越した天文観測技術は、弟子の伊能忠敬に伝えられ、その後の日本地図作成に大いに役立ちました。

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「間長涯天文観測之地」の碑は大阪市に長堀川ほとりに建てられましたが、長堀川が埋め立てられると グリーンプラザ内に移されました。

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公園を後にして 次なる史跡を尋ねることに

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新町公園内にある史跡です。

「ここに砂場ありき」石碑

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豊臣秀吉が大坂城を築いたとき 大坂城中に資材置き場が 設けられ、新町あたりにも砂類の蓄積場が有りました。工事関係者が多く、その人々に麺類を振舞った「いずみや」「津の国屋」などが開業しました。この地が 本邦麺類発祥の地であるとして、大阪のそば店誕生400年を記念して建立された石碑であります。

なにや レトロな建物も目につきました。大阪屋です。

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隣の社屋には こんなオブジェもありました。

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「改良演劇発祥の地」

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かつて新町南公園北側に新町演舞場がありました。新町楼の芸妓が踊りを披露し、春には「浪花踊」が披露された舞台でした。戦後、演舞場は書籍取次業の大阪屋になりましたが 当時の面影そのままに 残されています。

さて、長堀通りを歩むこと 東に 最終訪問地 四ツ橋に近づきます。

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大きな交差点にも 重要な史跡があります。

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四ツ橋は、かつて長堀川、西長堀川に架かっていた 四つの橋からその名が由来します。

ここ四ツ橋には 今でも当時の橋の様子を再現されています。

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吉野橋

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下繋橋

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炭屋橋

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上繋橋

二つの川に 四つの橋が 東西南北に 井の形に架かっている珍しさから 浪花の名所として 知られています。

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天保8年(1837)には 幕吏に追われた大塩平八郎父子が船で逃走中に、四ツ橋の下で 刀を投げ捨てたといわれています。

今は 高速道路の すぐ下に 石碑が残されているのみです。

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小西来山 作

「涼しさに 四ツ橋を四つ わたりけり」

上島鬼貫 作

「後の月 入て貌(かたち)よし 星の空」

なんとか 四ツ橋まで たどり着きました。足早でしたが 大阪の幻の橋の数々に巡りあえました。

今は 高速道路や 地下鉄の駅の名前のみで親しんでいる 町の名前にも 古い時代の 歴史が刻んだ意味あいが込められているんですね。




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今回の道順です。

長堀橋から 四ツ橋まで 大阪西区を 歩きましたが まだまだ この近辺には 古くからある史跡が残されていますので またの機会に 訪れてみます。。¥^^
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