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かつて母なる川に悲恋の南無網島があった ②~藤田美術館・藤田邸跡公園 [大阪市都島区]

太閤園と大阪市公館を後にして すぐ近くの やはり 藤田伝三郎の記念の施設に訪問します。

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ここは財団法人藤田美術館による東洋古美術を中心とした美術館です。

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藤田伝三郎と、嫡子平太郎、次男徳次郎の二代三人によって収集された東洋古美術品を中心としたコレクションを公開する目的で、昭和26年(1951)3月に設立、同29年(1954)5月に開館しました。

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そのコレクションは5000点を数え、国宝9点、国の重要文化財50点を含む絵画・書跡・陶磁器・彫刻・漆工・金工・染織・考古資料など多枝にわたっています。

昭和20年(1945)の空襲により、藤田家本邸は焼失しましたが、美術品を収めていた蔵は、幸いに焼失を免れ、現在展示室として利用しています。

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この美術館敷地が藤田伝三郎の本邸跡で、かつては大長寺の境内でした。

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いかにも石燈篭などがあるのもうなずけました。

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さて、隣の敷地にある藤田伝三郎邸の広大な庭を訪ねましょう。

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元は藤田伝三郎本邸の庭園でした。

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公園の入口はかつての大長寺の山門と伝えられています。趣きはすっかりお寺の境内です。

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大阪市指定名勝になっている この庭園は作庭園家・梅園梅叟(ばいそう)の手になるもの。

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その手法は 平坦な地形に起伏に富んだ地形を人工的に作り出し、築山、滝、流れ等で構成されていくものです。

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実はこの敷地は近松門左衛門の最高傑作『心中天の網島』の主人公・紙屋治兵衛と紀伊国屋の遊女・小春が、お十夜の切り回向を聞いたあとに心中したところなのです。

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本邸跡は長年放置され植物に覆われていたが、豪快な石組みなどが遺されていたので 現代的な造園技術で再生復元されました。

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庭園内には 季節の花々が植えられています。とても綺麗な花が丁寧に手入れされていました。

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また、この日も公園内では ゆっくりとした時間を過ごす夫婦連れや読書に没頭する人などが たくさん訪れておりました。

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さて、こちらも後にして 桜ノ宮公園に沿って 大川ベリ散策を続けていきます。

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藤田邸跡公園へ向かう途中に こんな おもしろいバスが通っていました。乗っていたのは観光客のおばさんたち。カメラを向けると 大歓声を上げて「いゃ~!映さんといて~」と・・・

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このバスは 一体なんでしょうか?この次あたりの記事で明らかになるのですが。。¥^^


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