SSブログ

先賢景仰!時代の最先端駆け抜けたまち ③~江戸堀 [大阪市西区]

江戸堀界隈を散策して 土佐堀川から一路 東に戻っていくこぐまねです。

薩摩藩蔵屋敷跡

DSC01195.jpg


西区の一体は江戸時代交通の便が良かったため中之島界隈には諸藩の蔵屋敷が集中していました。薩摩藩もここで代々堀を開削して薩摩藩定問屋として活躍しています。明治になり鳥羽伏見の戦いで、幕府から蔵屋敷の引渡しを拒否したため、陸奥会津藩が攻撃を仕掛けてくることを聞いて、自ら火を放って焼失しました。

DSC01197.jpg


このあたりは じつに高層ビルが建ち上がっています。

DSC01198.jpg


このビルの中に 大村益次郎の寓居跡が残されていました。

大村益次郎は幕末に蘭学・医学はもとより西洋兵学に通じた軍政家で 若くして緒方洪庵の適塾で学び、塾頭にまでなった方です。江戸堀の倉敷屋作衛門の屋敷に下宿し、かの長州の高杉晋作らを指導して長州征伐や戊辰戦争を指揮し、新政府軍の勝利に貢献しました。明治新政府の役職につくも 明治2年(1869)に京都で国民皆兵反対派の刺客に襲われ、大阪病院に入院するも右足切断の手術の後、46歳の若さで没しました。

DSC01201.jpg


江戸堀のまちにはこんなオブジェも見られます。

次に訪れたのは レンガ造りの 古めかしい建物

日本基督教団大阪教会

DSC01205.jpg


米国宣教師ゴルドン氏の伝道で明治になって創立された梅本町公会が前身です。平成16年には創立130周年を迎えた日本最古といっても良いプロテスタント教会です。現在の建物は大正11年(1922)に建造され、ロマネスク様式のクラシックな設計で赤レンガが引き立つアーチや尖塔、切妻屋敷、美しいバラ窓などの見所がある屋敷です。阪神淡路大震災で半壊しましたが8ヵ月後には見事、復興し 今では国の登録文化財になっています。

さて、ここいらで お昼時ともあって 沢山の食事どころが 開店してます。

DSC01208.jpg


吾輩もここいらで お昼タイムと行きたいところですが 次の予定があって やむなく この地をあとにすることにします。
DSC01210.jpg


もう一度 肥後橋商店街まで戻り 今回の まち歩きは おしまいですね。

DSC01212.jpg


ここまで 毎回ご覧いただき ありがとうございました。

拙い文章と もうひとつの 写真ばかりで 大阪の中心地 土佐堀界隈の雰囲気が伝わったでしょうか?

これからも 近くに立ち寄ることがあれば また、ぶらぶらしてみたいですね。。¥^^
nice!(11)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 11

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。