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毛馬のこうもんを目指して ①~駒つなぎの樟(クスノキ)~ [大阪市都島区]

かつて俳人・与謝蕪村は享保元年(1716)、毛馬村に生まれ、若くして江戸に出ました。松尾芭蕉を慕い、その足跡をたどって東北を周遊した後、京に落ち着き 大坂にも何度か立ち寄りました。彼が生まれた故郷の毛馬村は新淀川開削のため川の底に消えてしまったのですが その毛馬村を目指して 大阪市都島区の毛馬界隈を散策してみます。

地下鉄谷町線の都島駅で降り、西にしばらく歩いてみました。都島通りにはいろんなお店があって面白いですね。

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シーズショップということが一目瞭然。

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食べ物屋も多いです。

こんなお店もありました。ここは夜に来ないとダメですね。期待していいのやら悪いのやら?

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さて、大通りから北に歩き始めますと都島工業高校があります。ここの正門には昭和天皇ご臨幸の碑ががありました。

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ここから再び 大通りの方に向かう途中に 都島神社があります。

都島神社

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かつてこの一帯は淀川の洪水に何度も見舞われ、後白河天皇がこの地に行幸されたおり、その惨状を哀れみ、洪水防止を祈願して神社を建てるように命じられました。

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毛馬・友渕近隣の8ヵ所の農民が協力して、永暦元年(1160)に建立されたのが この神社です。旧本殿その他は戦災で消失しましたが昭和24年(1949)に再建。

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天照大神をはじめ15神を合祀したので、当初は十五社神社と名付けられましたが、昭和18年(1943)に都島神社と改められました。

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境内には鎌倉時代の石造三重宝筺印塔(せきぞうさんじゅうほうきょういんとう)があります。四隅に飾り突起が付いた屋根を三層に積み重ねた珍しい形式の塔で「嘉元(かげん)二年」(1304)の銘が刻まれています。大阪市内最古の石造遺物として重要美術品に指定されています。

神社から北へ歩くと住宅街があり そこを抜けると道路脇にそびえ立つ大木のようなものが見えてきます。

渡辺綱駒つなぎの樟(クスノキ)

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平安中期の長徳年間(995~999)、この周辺は大江山の鬼退治で有名な源頼光の領地でした。頼光は一族の武神八幡大神をまつり、産土(うぶすな)神社を創建します。そのとき頼光自らが植えたとされるのがこの樟(くす)です。

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頼光の四天王のひとりで 頼光の荘園の管理を任されていた渡辺綱が、この神社に詣でるとき いつも馬の手綱をこの樟に繋いだことから、この名が付いたとされます。

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樹齢900年と推定される樟は、昭和13年(1938)に大阪府の天然記念物第1号に指定されましたが、第二次世界大戦の戦災で被災し、現在は枯渇状態です。

なお、産土神社は明治42年(1909)に、都島区中野町の桜宮神社に合祀されました。

900年もの間、枯れてしまったとはいえ 倒れずにいるとは なんともすごいですね。不気味に広がる枝ぶりが凄みさえ感じさせます。

ここから西にさらに歩き、毛馬桜宮公園にでて 北に向かいます。

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都島橋の上から 大川(旧淀川)を眺めながら かつて開拓されていった毛馬付近に想いをはせて 散策を続けていきますね。。¥^^

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