大坂城の梅林~三分咲でした~中央区 [大阪市中央区]
今日は やっと寒さも和らぎ マフラーも外して 公園散歩に行ってきました。
まだまだ早いとは思ったのですが 大坂城の天守が見える梅林公園を訪れてみます。
沢山の人が カメラ片手に梅の花に近づいて撮影してますが 如何せん花の数が足りません。
ようやく蕾が膨らんでところどころ 花びらを見せている樹がある程度。
そんな中 綺麗なのは白い花びらの梅でした。
まだ三分咲といったところで 一週間後ぐらいが見頃ですかねえ。
もう一度、訪れることにしましょう。。¥^^
まだまだ早いとは思ったのですが 大坂城の天守が見える梅林公園を訪れてみます。
沢山の人が カメラ片手に梅の花に近づいて撮影してますが 如何せん花の数が足りません。
ようやく蕾が膨らんでところどころ 花びらを見せている樹がある程度。
そんな中 綺麗なのは白い花びらの梅でした。
まだ三分咲といったところで 一週間後ぐらいが見頃ですかねえ。
もう一度、訪れることにしましょう。。¥^^
三光神社~歴史の散歩道 ⑤~真田の抜穴 [大阪市中央区]
ついにやってきました。大阪城から真田幸村の出城まで抜け穴があったとされる三光神社である。
そもそも創建は第18代反正天皇の頃とされるが定かでない。
大阪合戦のおり、豊臣方の武将、真田幸村の出城に通ずる抜け穴があったとされる。
いかにもそんな穴があるのだが・・・
勇ましい銅像とは対照的に品素な洞穴という感じがしないでもない。
勇壮な幸村の銅像とは不釣合なくらいである。
とにもかくも 参拝しつつ帰路につく。
帰り道は玉造駅までまっしぐら~~今回で一旦、玉造散策は終わりであるが、まだまだ興味深い物件が潜んでいそうなので後日再び訪れることにする。。¥^^
そもそも創建は第18代反正天皇の頃とされるが定かでない。
大阪合戦のおり、豊臣方の武将、真田幸村の出城に通ずる抜け穴があったとされる。
いかにもそんな穴があるのだが・・・
勇ましい銅像とは対照的に品素な洞穴という感じがしないでもない。
勇壮な幸村の銅像とは不釣合なくらいである。
とにもかくも 参拝しつつ帰路につく。
帰り道は玉造駅までまっしぐら~~今回で一旦、玉造散策は終わりであるが、まだまだ興味深い物件が潜んでいそうなので後日再び訪れることにする。。¥^^
玉造界隈~歴史の散歩道 ④~日の出商店街 [大阪市中央区]
森之宮から南に下って行くと玉造。ここは独特の雰囲気の町である。
ハイカラな喫茶店があったかと思うと
昔ながらの蕎麦屋があったりして 面白い。
玉造駅界隈に広がる 商店街 「日の出通り商店街」
いかにも下町風景満載の商店街である。
実は ここから西に少し行くと 三光神社があって ここには有名な 「真田の抜け穴」がある。
今回は 写真は一枚だけ・・・
いかにも戦国武将という 銅像が勇ましいなあ。。¥^^
ハイカラな喫茶店があったかと思うと
昔ながらの蕎麦屋があったりして 面白い。
玉造駅界隈に広がる 商店街 「日の出通り商店街」
いかにも下町風景満載の商店街である。
実は ここから西に少し行くと 三光神社があって ここには有名な 「真田の抜け穴」がある。
今回は 写真は一枚だけ・・・
いかにも戦国武将という 銅像が勇ましいなあ。。¥^^
伏見橋旧跡~歴史の散歩道 ③~玉造 [大阪市中央区]
引き続き歴史の散歩道を歩く。
いよいよ玉造方面へ歩みを進めていく。
公園の名も玉造公園で
お寺もあったり
京セラミタの本社屋で
仁丹本社が見えます
伏見橋旧跡の碑がひっそりと目にとまりました
伏見橋は、猫間川に流れ込む支流(「井路」=流水の道)に架かっていた橋である。
江戸時代から明治の終わり頃まで、この「井路」を利用し、猫間川まで荷物の運送を行っていたと言われている。
あまりにも唐突に石碑が建っているので思わず見過ごしそうです。
いよいよ玉造方面へ歩みを進めていく。
公園の名も玉造公園で
お寺もあったり
京セラミタの本社屋で
仁丹本社が見えます
伏見橋旧跡の碑がひっそりと目にとまりました
伏見橋は、猫間川に流れ込む支流(「井路」=流水の道)に架かっていた橋である。
江戸時代から明治の終わり頃まで、この「井路」を利用し、猫間川まで荷物の運送を行っていたと言われている。
あまりにも唐突に石碑が建っているので思わず見過ごしそうです。