永遠なる太子信仰と大陸文化の伝承地~四天王寺への道 ②~堀越神社 [大阪市天王寺区]
四天王寺界隈の町歩き 続きです
四天王寺を建立した聖徳太子がその叔父にあたる崇徳天皇の遺徳を偲んで創建した神社とされるのが「堀越神社」です。
古くから明治中期まで境内南沿いに美しい堀があり、この堀を超えて人々が参拝したところから、堀越という名が付けられました。
平安時代には「蟻の熊野詣で」といわれるほど賑わった熊野詣では、京から船で淀の川を下って、渡辺の津(現在の天満)にあった九十九王子の第一王子「窪津王子」を詣で、後に四天王寺の正門鳥居近くの「熊野神社」にご鎮座され、さらに堀越神社に合祀されたとのこと。
その後、「熊野第一王子之宮」として現在に至っています。
ちなみに 熊野権現の神使は三本足の烏・やたがらすで、いまや日本サッカー協会のシンブルマークになっています。
境内には由緒ある但し書きが残されてます。
この日も沢山の方が参拝されていました
かたわらにひっそりと置かれた看板に引つられたのですが・・・
かえる石
ほんとにカエルに見えるから不思議ですね。。¥^^
四天王寺を建立した聖徳太子がその叔父にあたる崇徳天皇の遺徳を偲んで創建した神社とされるのが「堀越神社」です。
古くから明治中期まで境内南沿いに美しい堀があり、この堀を超えて人々が参拝したところから、堀越という名が付けられました。
平安時代には「蟻の熊野詣で」といわれるほど賑わった熊野詣では、京から船で淀の川を下って、渡辺の津(現在の天満)にあった九十九王子の第一王子「窪津王子」を詣で、後に四天王寺の正門鳥居近くの「熊野神社」にご鎮座され、さらに堀越神社に合祀されたとのこと。
その後、「熊野第一王子之宮」として現在に至っています。
ちなみに 熊野権現の神使は三本足の烏・やたがらすで、いまや日本サッカー協会のシンブルマークになっています。
境内には由緒ある但し書きが残されてます。
この日も沢山の方が参拝されていました
かたわらにひっそりと置かれた看板に引つられたのですが・・・
かえる石
ほんとにカエルに見えるから不思議ですね。。¥^^
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