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近代大阪発展の地は西へ ②~靭公園から雑喉場(ざこば)魚市場跡 [大阪市西区]

靭公園のテニスセンターから 歩き始めます。

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靭公園のなかにある神社です。

楠永神社(御霊神社元宮)

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2本の楠が主神ですが かつて楠を伐採しようとしたものが、災難にあうこと相次ぎ、お払いをしたそうです。

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その際白い蛇が出てきて この神木は切るべからずとして 今に残っています。
楠永神社が鎮座する前は御霊神神社の元宮がありました。

永代浜跡

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靭本町付近にあった海部堀川の荷物陸揚げの便を良くするために開削した約724メートルの堀を永代堀といい、阿波座掘りからの屈折点あたりを永代浜と称しました。

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海産物の荷揚げ・鰹節の専門市場として靭の中心地となりました。

靭テニスセンター

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おりしも 世界スーパージュニアテニスの開催がなされています。

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ちょっと 覗いてみます。

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若いテニスプレーヤーたちの熱戦が繰り広げられていました。

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江戸堀西公園に立ち寄ると なんと ひまわりが咲き誇っていました。

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この時期に ひまわりと思いましたが 今年のこの陽気では 満開の状態も納得です。

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公園のハトも 寄り添って お出迎えですか~~

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高速道路をくぐると その先に このあたりに かつて栄えた魚市場の史跡がありました。

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雑喉場(ざこば)魚市場跡

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江戸時代に このあたりは雑喉場町といい、サッカー場一面もある 一大魚市場でありました。

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その規模は 西日本最大で 堂島市場・天満青物市場と並び、近世大坂の三大市場といわれました。

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安永元年(1772) 問屋株が免許され、独占的にその地位が認められたそうです。

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昭和6年(1931)、大阪市中央市場に吸収合併されるまで この地で取引がなされていました。

さて、ここから かつて 江之子島政府なる 大阪の発展の象徴となる 史跡を訪ねてみます。

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今は ずいぶん新開発が されて 工事中のところも多いのですが、かつての川口居留地跡まで訪ねていきます。

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